天台寺
山道下の桂の大木の根元から清水が湧き出ていたことから「桂水観音」「御山の観音」と呼び親しまれており、霊地として崇められていた桂清水が、のちに観音の霊場として、そして古代において国内最北の仏教分化へ発展したものと考えられている。「天台寺」の名称が初めて資料にあらわれるのは南北朝時代、正平18年(1363年)の銅鰐口で、元中9年(1392年)と伝えられる銅鐘銘には「桂泉」の名も見られる。この頃には勢力を拡大してきた南部氏が天台寺を崇敬・保護するようになり、室町中期には、糠部三十三所観音巡礼の第一番礼所ともなった。作家の瀬戸内寂聴が一時期住職をしていた(現・名誉住職)ことで知られ、岩手有数の観光寺院になった。
稲庭岳
のどかで景色のよい遊牧地帯の高曲原高原です。